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宿毛 館長のブログ119

 宇和島を後にして国道56号を南下、伊予と土佐の国境を越えて宿毛市に入る。真珠との関わりでいえば、まず宿毛貝塚、それに宿毛丸島ということになるだろう。宿毛貝塚から縄文後期の真珠が出土したこと、宿毛湾内の丸島の海域で大正初期に藤田昌世が真珠養殖を行ったことは、たいていの啓蒙書に紹介されているが、少し復習しておきますか。  まず、宿毛貝塚の真珠の初出は松井佳一博士の『真珠の事典』。昭和39年11月、宿毛市の橋田庫欣氏から大津市の高島秀実氏に「長径9ミリ、短径7ミリ、重さ0.55グラムの真珠」の発見が伝えられたとある。この真珠出土の話は『高知県史』や『宿毛市史』にも見られるが、残念ながら現物の確認ができない。貝塚は56号線の西側方向に広がる一帯の地名として残っており、遺構を示す案内表示も建てられている。遺跡からの出土品は市内の宿毛歴史館に収蔵されているが、展示のなかに真珠を探すことはできなかった。  ついでにいうと、『真珠の事典』発刊当時はこれが日本最古の真珠発掘事例だったのだが、その後、田園調布南遺跡、福井県の鳥浜貝塚、北海道の茶津貝塚、滋賀県の粟津湖底遺跡、鹿児島県の草野貝塚と発見が続き、しかもそれらはすべて実物が確認できているので、宿毛の真珠は影が薄くなってしまった。情報をお持ちの方は名誉回復のためにもご一報下さい。  宿毛市は史跡の多い町で、宿毛歴史館のパンフレットには記念碑や屋敷跡など二十か所以上が紹介されている。その歴史館は市の文教センターという建物の3階にあり、古代から近代までの町の歩みをテーマ別に学ぶことができる。同じ敷地内にある図書館の2階には出版社「冨山房」を創業した坂本嘉治馬の蔵書を収める坂本文庫があり、小規模ながら時代を経てきた稀覯本が犇めく。私見だが、図書館はその土地の精神的成熟の指標である。明治の頃に「ビブリオテーキ」の必要性を知り、国立図書館の設置に向けて奮闘した先人と図書館を巡る謎めいた人々を描いた中島京子の『夢見る帝国図書館』はお勧めの一冊です。  さて、文教センターの向かいに石の門柱。奥は年代を経た建物だが佇まいは凛として、なぜか新築の木の香り。ここはこの春から一般公開が始まった林邸で、見学させて頂こう。明治22年に建設された邸宅を2017年から改修、地域の記憶装置として活用するために、単なる保存ではない、様々な工夫が施された場所として再生したという。例えば耐震壁として強化ガラスや組子細工の面格子を使い、開放的な雰囲気を演出するなど、実にお洒落な空間で、キッチンスペースやカフェも併設、地域の拠点としていろいろな可能性を秘めている。どうも隣の芝生は青く見えて仕方がない。  二階の東側は月見の間。松田川の月を愛でて宴を開いたという、その主、林有造こそは藤田昌世の真珠養殖を後押しした人物で、ここで丸島の養殖場と話が繋がる。林有造は中央で活躍した政治家だが、晩年は宿毛に戻り、郷里の発展のため礎となりたいと願っていたという。大正4年、藤田昌世を技師として林社長の予土真珠が発足、順調に採取が行われて事業は発展するかに思われたが、大正9年8月、台風による洪水と山崩れで丸島の養殖設備は全滅。翌年、林有造は失意のうちに世を去った。念願の真珠を手にして、ふたりはこの屋敷で何を語り合ったのか。隠れた真珠史の一幕を実感できる貴重な場所だ。公開を喜びたい。


林邸アプローチ。組子細工の面格子が綺麗。左側はカフェ


林邸二階「月見の間」。月の光で真珠を見ただろうか


隣接する「林邸カフェ」。

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