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館長のブログ
真珠博物館長・松月清郎による読み応えたっぷりのコラム。真珠はもちろん、文学、伊勢志摩の文化、歴史、民俗など、得意分野は多岐にわたります。
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「真珠コレクションの展示」館長のブログ197
真珠コレクションというと、真珠を用いたジュエリーのコレクションと思われがちだ。今回の展示でご紹介するのはそれではなくて、貝や鉱物と同様、真珠そのものの珍しさや面白さを楽しんで頂くためのコレクション。店頭に並ぶ装身具としては見かけない類の真珠を揃えた。 貝の中から現れた珠を手にして眺める。そのこと自体でも軽い驚きであるが、それが丸く整った珠であれば、人は何となく良いことがあるような気分にさせられる。ましてそれが大きく、輝きを持っていればその嬉しさは如何ばかりだろう。それを瑞兆として、身に付け、お守りにする。装身具はそうした不思議の力をわが物にすることから始まったというのが、大方の一致した見方だ。 鉱物や貝などのコレクションは理科系博物館の常設や企画展で見ることができるし、個人でも相当な品を所蔵するコレクターがいる。真珠の収集家もいるにちがいないが、なぜか、あまり表にでてこない。フィクションではあるがジュール・ヴェルヌの小説『海底二万マイル』にはネモ艇長の真珠コレクションが次のように紹介されている「紅海のタイラギからとったバラ色の真珠、紅色あわび
2 日前読了時間: 4分
「御木本幸吉の商売戦略」館長のブログ196
乙竹岩造の『伝記御木本幸吉』から原文のまま引用する。 「僕は養殖真珠の方法については、随分苦労したが、しかし、その売り方に対する苦心もこれに劣らない。実際に商売をした者でなければ、その辺の消息は共に談ぜられないが、需要と供給のつり合いを睨んで価格を維持して行くのは、かなり難しいことなのだ。僕は養殖真珠を初めて売り出した時から、その商略についていろいろ考えた。そして採取した真珠の十分の二以上は市場に出さないことにした。十分の二というのは、価格がいつでも三円以上のものに限るという意味なので、一円や二円や二円五十銭位までの品は、みな土の中に埋めてしまって、決して売りには出さないのだ。ある人は、このやり方を聞いて笑ったそうだ。御木本はなぜ格安の品を売り出さないで捨ててしまうのだろう。商売気のない奴だと陰口をきいている人もあるそうだ。だが、ここだて、大いに考慮の要るのは。今日この真珠の値が上がって、ほとんど従前の三倍にもなり、それでどんどん売れて行くのは僕がよく需給の関係を考えて、不良の真珠を捨ててしまったからではないか。もし僕がただ金を儲けさえすれば良い
6月22日読了時間: 5分
「海女さんは今日も潜る」館長のブログ195
昭和46年の秋も深まる頃に発行された真珠島の社内報に「建設すすむ海女温水プール」という記事があった。冬の間の海での海女作業は行う方も見る方も辛いだろうから、館内に温水プールを作り、暖かい部屋で作業を見ていただこう、海女さんの健康管理上からも望ましい、そういう設備が近々完成する、という内容だ。 既存の映写室の山側を削って室内を拡張、山頂に新しく設置した100トンの貯水槽から給水して「中部電力ご自慢の5000リットルの大温水器で沸かした湯が絶えずプールを循環して、吸塵器と濾過機で湯を清潔に保つ仕組みになっている」。このプールが完成すると木枯らしの海から海女の姿は消え、南国鳥羽は冬ごもりに入る、とある。 私が入社した昭和50年当時、この温水プールはあったはずだが、映写室内で海女の作業を見た覚えはない。冬の間だけ使われていたからか。その頃のことをご存じの方に尋ねてみると、どうも海女さんたちの評判が悪く、あまり使われなかったようなのだ。 当時の海女さんは恥ずかしがり屋だった。海なら飛び込んでしまえば、浮上するときに観客の視線を感じるだけだが、ガラス張
3月28日読了時間: 4分
「海女さんの小説を読んでみた」館長のブログ194
海女スタンドの改修工事が終了して、海女作業は元の場所で再開されることになった。期間中、ご不便をおかけしたことをお詫び申し上げます。島の海女さんに聞くと、臨時の作業場所となった海女桟橋寄りの海は南側なので、海水温が少し高くて助かったとのこと。3月は木曽三川からの雪解け水が伊勢湾を南下するので海が冷えて、一年で一番厳しい時期なのだそうだ。風はまだ冷たいがもう少しの辛抱で、また春が巡ってくる。 今の海女作業はアナウンスのみの解説で、他に文字情報はない。昭和50年代までは島内に「海女資料館」という施設があって、志摩の海女について基本的な事柄をパネルで展示していた。海女を取り上げた研究書や写真集は今まで結構出版されていて、博物館2階の図書コーナーに並んでいるから、文字情報の必要な方はそちらを利用いただくようにご案内している。古いところで地元の民俗学者岩田準一の『志摩の海女』、昨年物故された田邉悟さんの著作や、近年では三重大学・塚本明教授の『鳥羽・志摩の海女』(吉川弘文館 2019年)を参照される方が多い。 文芸の分野でも海女を取り上げた作品があって、す
3月8日読了時間: 5分


「シジミ」館長のブログ193
図書検索で『しじみからのおくりもの』という本を見つけた。くんか、くんか、何やら真珠の匂いがするぞ。入手したら、これが当り。シジミから出た真珠にまつわる話だった。 小学校6年と3年の姉妹。ふたりの父親は交通事故で亡くなり、母親は心痛と過労で入院中という辛い境遇にある。学校ではそのことで苛めを受けるが、姉妹は助け合って健気に生きようとしている。 ある晩、シジミの味噌汁を食べていた妹が何かを噛み当てた。出してみると小さくて丸い、ほんのり桜色に輝いている珠だった。ふたりが興奮して取り合いしているうちに、その珠は手から落ちてしまい、懸命に探すが見つからなかった。ふたりにとってシジミは家族で房総の海に遊んだ記憶と分かちがたく結びついていて、話は優しかった父親との回想となってゆく。 母親を見舞いにいった病院でシジミの真珠のことを話して、同じ病室の人達を和やかな気持ちにさせた姉妹は、家に帰って真珠探しを続行。すると、未整理の書類の中に父親からの懐かしい手紙を見つける。手紙を読んだふたりは改めて父親の愛情の深さにうたれ、真珠よりも大切なものがここにあるといっ
2月8日読了時間: 4分


「賽銭のお釣りをもらった話」館長のブログ192
新年おめでとうございます 初詣にお出かけになりましたか。今回はお賽銭に関する御木本幸吉のエピソードを。 「幼時から敬虔の念の篤かった幸吉は、宇治や山田を通る時は必ず神宮に参拝し、参拝すれば必ず玉垣の石垣の下にひざまずき、賽銭を差し上げ、柏手を打って恭しく礼拝する。賽銭は始め頃は文久通貨一枚、寛永通貨一枚、いずれも今日は見られない厘銭であるが、身分のようやく高上するにつれて、一銭銅貨一枚となり、二銭銅貨一枚となり、決して違わなかった。ある日参拝して御門前にひざまずき、懐中の財布から手探りで二銭銅貨を差し上げるつもりで、五十銭銀貨を上げてしまった。身分不相応だと考えると、さあどうしても気が済まないので、神宮衛士の方へ申し出た。大勢の参拝者の沢山の賽銭のことゆえ、調べられないといって断られたが、幸吉は貧乏で二銭の賽銭を奉納する身分であって、まだ断じて五十銭をさしあげる身分でないから、どうかお手数でもお調べを願いたいというので、衛士も幸吉の真摯な態度にうたれてその要請を容れ、ついに四十八銭のお釣りを頂いたのである」(乙竹岩造『伝記御木本幸吉』雄弁会講
1月14日読了時間: 4分
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