「答志島を訪れた最初の英国人」館長のブログ187
- Blue East
- 7月19日
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インバウンドの来客が2000万人を超え(6月末現在)、真珠島の場内も時間帯によれば日本人の客数の方が少ないこともある昨今。その先駆けは明治時代にあった。アーネスト・サトウ、チェンバレン、イサベラ・バードらの著した紀行文によって日本に対する興味が西洋で高まり、旅行ブームが興って、にわかに団体旅行が組織され、東京の洋式ホテルは満員になったという。
豊かな家庭に生まれて莫大な遺産を相続した英国人リチャード・ゴードン・スミスも日本に魅了された一人だ。博物学と民俗学に関心を抱き、大英博物館の依頼を受けて標本採集を兼ねての旅行だった。1898(明治31)年12月に長崎から日本に初上陸。船で瀬戸内海を渡り、神戸を経由して横浜に入港。東京の名所見物を楽しんで翌年1月に離日した。
2回目は1900(明治33)年2月末に横浜上陸、翌月18日、東京で政治家の金子堅太郎宅を訪問し、その後、尾張町の御木本真珠店(前年3月に開店した弥左衛門町の最初の店)を訪ねた。そうとは書いていないが、農商務相を務め、恐らく幸吉と面識のあった金子堅太郎が紹介したものだろう。「御木本の真珠は申し分のない色合いで、どこから見ても完璧である。当然、その養殖法の詳細は秘密だが、真珠が成熟するのには4年から5年かかるという。その貝殻は、私がこれまで見てきたどの土地のものよりも光沢に満ちている。これこそまさに輝ける『東洋の真珠』だ。大粒エンドウ豆大の真珠一個が、約2ポンド10シリングで売られている。ちゃんと鑑定すれば、ボンド・ストリートでなら30ポンドで売れるだろう」。ここでエンドウ豆大といっているのは当然ながら天然真珠のこと。この頃の御木本真珠店は養殖半円真珠と天然真珠を扱っていた。
同年7月に神戸から帰国の途に就くが、香港で健康を害して神戸に戻り、翌1901年4月に帰国。よほど日本が気に入ったのか、1903年10月にも来日。翌年には関西方面を旅行、瀬戸内海クルーズを楽しんで、大阪から関西本線で奈良、亀山を経由、津で三重県県庁を訪ねた。職員から「某一流画家が水彩でイラストを施した行政当局発行の漁業関係の本を見せられた」とあるのは『三重県水産図解』のことか。また「伊勢にいる現在最高の画家サイシュウ」というのは、地元で「鯛の左州」と親しまれた日本画家中村左州のことと思われる。鳥羽のトシ島の海女に会う事を勧められたスミスは山田(伊勢)でゴニカイ(五二会)ホテルに泊り、外宮に参拝、翌日二見から鳥羽に向かった。
第7章「トシの真珠採り」でゴードン・スミスは港から小舟で海に出てトシ(答志島)とカシマ(菅島)に渡っている。表題からは答志島で海女が真珠を採取する様子を見に行くような印象を受ける。ここで『日本書紀』允恭天皇14年の海人オサシ(男狭磯)がアワビから真珠を得た逸話を答志島の出来事として挿入しているので、誰かがスミスに教えたものだろうか。彼は興味を覚え、機会あるごとに人に語ったが、誰一人知る者はなかったという。それは無理もない。『日本書紀』の話は淡路島が舞台だ。
この時、実際に答志島の海女が採取していた貝はアワビとイガイで、スミスはイガイからきれいな緑色の巻き貝型の真珠を見つけたといい、表題は必ずしも的外れというわけでもなかったようだが、ちょっと紛らわしい。
好事家の眼は海女の眼鏡、手袋、ナイフ、籠などについて言及、沖合で海女船に同乗し、62歳の海女の潜水時間が58秒であること、2時間の作業の間にタコ、イガイ、アワビ、クロダイ、イセエビなどが大量に取れたこと、20人いる海女のうち若い海女は5人だけで、髪は赤茶け、皮膚は荒れていることなど、島の風俗をつぶさに観察し、書き留めた。
そして島の人々を集め、持参の蓄音機で愉快な音楽と勇ましい音楽を聞かせてその反応の違いを写真に収めている。
「実際、私はここにいる島の人々ほど好きになった日本人はいない。そんな気持ちがすぐにわいてきた」といい、海女を含む島の漁民は度胸があり、たくましく親切で勇敢、と彼らの性格を高く評価する。宣教師が「粗暴で未開の、非キリスト教徒である黄色の野蛮人」という人々のすばらしい礼儀と最高の親切が忘れられない、と結んでいる。
こうした日本人の美徳についての礼賛はこの時代の外国人旅行者の著述に共通のものだが、音楽を聞かせてどう反応するかを試すなどは、「未開人」に対する優越意識の成せる技といえなくもない。
まあ、それも時代を考えれば許される範囲のことか。ともあれ、好奇心溢れる観察者が鳥羽の離島の一日を心底から楽しんだ様子が窺える貴重な記録といえる。今でも古本で入手可能。
松月清郎 2025年7月19日
写真① 真珠島から答志島を望む
写真② 初期の御木本真珠店(『幸吉八方ころがし』挿絵)
写真③ イガイとイガイの珠 こちらは黒色
写真④ 荒俣宏・大橋悦子訳『ゴードン・スミスのニッポン仰天日記』(小学館 1993年)表紙
写真⑤ 同上 「トシの真珠採り」








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