「海女さんは今日も潜る」館長のブログ195
- 5 日前
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昭和46年の秋も深まる頃に発行された真珠島の社内報に「建設すすむ海女温水プール」という記事があった。冬の間の海での海女作業は行う方も見る方も辛いだろうから、館内に温水プールを作り、暖かい部屋で作業を見ていただこう、海女さんの健康管理上からも望ましい、そういう設備が近々完成する、という内容だ。
既存の映写室の山側を削って室内を拡張、山頂に新しく設置した100トンの貯水槽から給水して「中部電力ご自慢の5000リットルの大温水器で沸かした湯が絶えずプールを循環して、吸塵器と濾過機で湯を清潔に保つ仕組みになっている」。このプールが完成すると木枯らしの海から海女の姿は消え、南国鳥羽は冬ごもりに入る、とある。
私が入社した昭和50年当時、この温水プールはあったはずだが、映写室内で海女の作業を見た覚えはない。冬の間だけ使われていたからか。その頃のことをご存じの方に尋ねてみると、どうも海女さんたちの評判が悪く、あまり使われなかったようなのだ。
当時の海女さんは恥ずかしがり屋だった。海なら飛び込んでしまえば、浮上するときに観客の視線を感じるだけだが、ガラス張りのプールだと潜っているあいだ、ずっと視線を意識しなければならない。最初からの約束なら我慢もしようが、急にそんなこと言われても困る。それなら慣れた冷たい海で作業したほうが良い、と思ったのかどうか、ともかくシャイな海女乙女たちは戸惑い、プールでの潜水作業に抵抗の声を挙げたらしい。親の心、子知らずというところか。せっかくの温水プールも稼働率は低かっただろう。海女作業を演出する側と、行う側との思いのミスマッチが生んだ事態といえる。
実は水槽内で海女作業を行っていた施設は近隣にいくつかあった。2021年に閉館した賢島の志摩マリンランドは海女による魚の餌付けが呼び物のひとつだった。室内のガラス張りの水槽越しに作業を見せる。それはそういう就労条件だったから海女さんたちも割り切って仕事をしていたのだろう。逆に言えば潜水の姿を披露するには最適の舞台のはず。
不評だった温水プール以前にも海中で働く海女の姿を良く見てもらおうと考えたことがあったようだ。昭和43年11月の社内報に「水中透視船」(愛称Sボート)が10月に進水したとある。同年3月に現在の海女スタンドが新築されたので、その付帯事業として計画されたものか。記事の写真で見ると、底面ガラス張りのボートを海面に浮かべ、海女さんたちはその下で潜水作業を行う、というものだった。観客は岸壁からボートの底を通して海中の様子を見ることになる。沖縄のように透明度の高い海なら効果もあっただろうが、プランクトンの多い鳥羽の海では可視深度に限りがある。ボートの底には海藻やフジツボなどが付着してメンテナンスに手間がかかるし、大きな横波を受ければ激しく揺れ動いただろう。色々と問題があったようで、思ったような効果は得られないまま、お役御免となったらしい。
真珠島の海女作業は、養殖真珠の初期、アコヤガイを海底で飼育する地撒き養殖がおこなわれていた頃に、海女がその技を生かして貝の世話をしていたことを伝えるのを趣旨としている。筏が導入されて、籠の中で貝を養殖するようになってからも、御木本幸吉は養殖場を訪れる来客のもてなしに、海女の作業を見せるのを常とした。養殖真珠は志摩の乙女たちの手を経て生み出されるというイメージは、特に外国からの賓客に強い印象を与え、そのことが日本の真珠の好印象を形作る素地となったのは想像に難くない。伊勢志摩のアイコンとなっている白い磯着姿を実在のかたちで伝承することは、真珠島の海女さんに課せられた大きな役割だ。
そんなわけで、今も昔のままで出ているのです。
2026年3月28日
松月清郎
写真
①昭和50年代の入場券。海女の作業がメインビジュアル。
②昭和43年以前の旧海女スタンド。
③水中透視船の下で海女作業。それなりの効果は。
④水中透視船の全体。何となく強度的に問題がありそうだ。






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