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「朝熊山異聞」館長のブログ171

 御木本幸吉の四女乙竹あいが遺した『父、御木本幸吉を語る』(私家本、平成5年)は身内なればこその話が綴られて、興味がつきない。「御木本流建築」という一章では幸吉の「建築道楽」に触れている。お気に入りは松浦愛輔建築設計事務所で、同書には「この御木本流の建築は例の丸い顔が気に入ってお抱えの建築技師であった松浦愛輔さんに図面を引かせ、自分の好きなように図面を引き、出来ばえを見て楽しむといった格好」だったとある。博物館収蔵庫には、それを裏付ける五ヶ所養殖場の迎賓館内部など、松浦の手になる何枚もの図面資料が残されている。松浦愛輔の名は国会デジタルコレクションの検索で出るが、具体的な活動や作例などは知られていない。

朝熊山別館新築設計図

 資料のなかで目を引くのは「朝熊山別館新築設計図」と題された図面だ。色付けした百分の一のプリントで、一辺が6メートルほどの細長い五階建てビルの外観と内部が描かれている。尖塔を持つ塔屋には真珠を模したと思われる円形の空間があり、建物本体側面のうち、一面はそれに続くかたちで円窓が配される。この部分にはエレベーターが設定されているので、籠の中から外の景色が望める仕様だったかも知れない。一階が入口と物置、二階が食堂、三・四階が居室で、ツインベッドの部屋とシングルの部屋、バスルームとベランダが付く。五階は展望台で一階から続く外階段が屋上まで続いている。塔屋の上端まで約17メートル。各階の室内高は九尺(約2.7メートル)とある。

 この別館の定員は二組6名か。外国人用の迎賓館を意図したように思えるが、もし完成していたなら異彩を放つ建築として話題を集めたに違いない。山上のランドマークになったことだろう。幸吉は銀座の真珠店は別として、客をもてなす家の様式は一貫して和風を選んだ。その好みからするとこの図面のビルはまったく異例といえる。図の欄外に小さく47 3/松(?)と読めるサインがあるので、1947年、松浦設計事務所によるものと推定される。

別荘の展望台から来客に風景を説明する幸吉

 その時期なら、戦後の朝熊山復興の一環として計画されたという想像をしてみたくなる。外国人記者のインタビューに答えて、日本中を公園にしたいという希望を述べるほど観光に熱心だった幸吉が、整備に力を注いできた朝熊山の荒廃を座して見ているはずはない。脳裏には昭和11年の新聞紙上で公表された、伊勢から朝熊山を経て鳥羽に至る自動車道路のことがあったかも知れない。当時、内宮の位置する宇治を起点に朝熊山上まで自動車専用道路が開通していたが、下山するには同じ道を戻らなければならなかった。幸吉は山上の金剛証寺前から「四郷村朝熊の狼茶屋まで約四十町を幅員二間半の自動車専用道路を開鑿の上、県道朝熊街道に結び付け、堅神において幹線明粧道路に接続する」という構想を立て、バス会社の社長や寺の関係者、県会議員らと語り合ったことが新聞記事からわかる。明粧道路という名称は今では聞かれない。二見から鳥羽に至るJR参宮線に沿った海辺の道路のことか。

 「狼茶屋」とは物騒な地名だが、天保五年の「磯部まいり」という紀行文にその由来が記されている。伊勢神宮参拝を終え、志摩磯部の伊雑宮まで足を延ばした旅人の記録で、各地名所を巡り、鳥羽を経て朝熊道の堂坂峠を越え、休憩したのがこの茶店だった。狼が出るので狼茶屋か、あるいはおかめという女性が開いたからとでも、と聞く旅人に茶屋の老女は、ここは朝熊村の水源でこの上はなく、それで地名を大上(おおかみ)という、と答えた、とある。現在も利用されている朝熊道の、峠より伊勢寄りの地点かと思われる。

 この道路の開通によって伊勢、朝熊、二見、鳥羽という循環ルートができ、観光客の得る利便は計り知れないというのが、幸吉の目算だった。

 大阪朝日新聞は近く実現の運びと報じていたが、昭和11年という時局が災いしたのか計画は進展せず、日本はやがて戦時を迎えた。戦後、もう一度この計画を練り直し、道路網の整備を前提として朝熊山の復興を考えたとすれば、西洋風の迎賓館が必要になる。

 だが、道路計画再考の見通しは立たないままに、高齢の幸吉は計画を見限る。昭和24年に山上別荘の連珠庵を志摩の多徳養殖場内に移し、朝熊閣と命名したのはその夢の名残だったのではないか。

朝熊登山鉄道(ケーブルカー)山頂駅

 多くの旅人を山上に誘ったケーブルカーは昭和19年に資材供出のため休止しており、訪れる人影は途絶えたまま。「朝熊山を東海の軽井沢に」という幸吉の夢の実現は昭和40年の伊勢志摩スカイライン開通まで20年待たねばならなかった。

 色あせた図面だけが朝熊山の繁栄を願った幸吉の思いを伝えているかのようだ。

松月清郎


専用道路を運行したバス













2023年11月30日

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