6月に上京の機会があり、上野公園の国立科学博物館で「特別展 宝石 地球がうみだすキセキ」を見学。予約を取り、定時に少し遅れて入場する。平日の午前中だが、会期末も近いせいか館内は結構な人出で、入口付近の展示ケースはいずれも人垣で覆い隠され、背後から覗き見るのが精一杯の盛況だった。
高さ2.5メートルの巨大アメシストドームの前で写真を撮る人もいる。係員が展示順路によらず、空いている場所から見るようにと誘導する。けれども音声ガイドを使用している観客はやはり順路通りに見学するのだろうし、混雑の中では空いているケースを探すのが大変。途中から見れば、割り込むかたちになって、なにやら後ろめたい気分になる。人気の展覧会ではどこでも味わう焦燥感を抱えながら、先へ先へと進む。
原石となる岩石の生成メカニズムや、鉱物から宝石となるまでの過程など基本的な展示解説の多くを覗き見しつつ、スキップしつつ室内の半分を過ぎてしまった所で、印象に残る箇所は断片的だ。博物館の展示は観客自身の学習する意欲を前提としている以上、小さな文字パネルを立ったままで読ませて、現物資料をガラス越しに観察させるというアナログな手法は捨てられないから、ここでも音声ガイドや映像ブース、マンガなど色々と手を変えて学習意欲を促進するような工夫を凝らしている。けれどもキャパシティを越えた人の波の前にはどれほどの効果を発揮するだろう。予約制、入場制限などで観客を絞る方法もあるが、それは営業的にどうなのか。実に悩ましい。 真珠の展示は如何にと見れば、生物由来の宝石として珊瑚や鼈甲、貝殻と共に一つのケースにまとめられている。宝石全体から見ればこの扱いはやむを得ないところか。真珠の標本はもう少し吟味すればと言いたくなるようなもので残念。けれどもその先で橋本貫志氏の指環コレクションを久しぶりに見ることができたのは幸いだった。氏の蒐集品がまだ公開される前、個人的に拝見する機会を得たこと、その後、東京都庭園美術館での展示会に関わったことなど懐かしく思い出した。
国立西洋美術館に寄贈された800余点のうち、今回は宝石をセットした201点を見ることができるという。わが国で稀有な宝飾品コレクションの至宝としてもっと知られて良い。 第4室からはジュエリーの展示で、華やかな雰囲気となる。カットされ研磨された石がセッティングによってジュエリーとなるまでを取り上げ、ここではヴァンクリーフ&アーペルの品々がケースに並ぶ。博物館における展示室経過に伴う観客低減の法則によって、少し周辺に余裕ができる。普通、人は入館早々に見学のエネルギーを費やす傾向にあるが、この「宝石展」に限っては後半まで温存することをお勧めしたい。同メゾンの展覧会は2017年、京都国立近代美術館で行われた『技を極める―ハイジュエリーと日本の工芸』が優れた内容だった。規模もセレクションも異なるが、ミステリーセッティングなど緻密な細工技法を実際に見られる得難い機会といえる。芦屋のギメルによる豊かな季節感に溢れたジュエリーに見入る観客も多く、この辺からまた渋滞。
休憩室を経て第5室はアルビオンアートのコレクション約60点を展示する部屋で、古代から20世紀までの逸品が揃う。「宝石展」のタイトルから多くの観客が期待する展示構成で、同じ時代に生きていれば目にする事など叶わなかった宝物ばかりである。モレッリやピストルッチの超絶的なカメオ、矢を射るキューピッドのペンダント、類まれなエメラルドを用いた首飾り等々、日本国内にあることが驚きであるようなジュエリーが揃う。なかでも圧巻はピンク・トパーズとアクアマリンのパリュールで、目測で縦横40cmもあるだろうか、巨大な共箱に納まって他を睥睨している。ラクローシュが制作したプティ・ポワンのブレスレットも驚嘆に値する作品で、レース細工のように見える繊細なオープンワークの格子模様が見事の一言に尽きる。
見終わってため息をひとつ。後はショップで図録を求めて、会場で読み落とした解説を確認し、復習をお勧めする。ジュエリーの写真は全ページ大に拡大されて、細部を見るには好都合。 鉱物マニアの方々はまた違った感想を持たれるだろう。大方の観覧者にとっては非日常の分野だが、宝石は人の手を経て初めて宝石となることをあらためて思い知る機会であり、これを窓口にその世界の魅力を垣間見ることができれば意義ある展覧会といえる。 同展は名古屋市科学館に会場を移して開催している。こちらは7月後半の平日に見学したが東京展のような混雑はなく、ゆったりと時間を過ごせる。上野で不満が残ったという向きは名古屋でリベンジを。9月19日まで開催中。
(2022年7月28日)
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