9月1日は真珠博物館開館の日。1985年の当時に比べれば収蔵資料は何倍にもなっていて、特に二階の「養殖真珠の時代」は詰めすぎの感が否めない。当初、大型の工芸品は「五重の塔」と「自由の鐘」だけで、実にゆったりした空間だった。 「地球儀」がコレクションに加わったのは1990(平成2)年のこれも9月のこと。1993年に迎える御木本真珠発明100周年事業の記念モニュメントとして、その前年から制作計画が立ち上がった。地球儀が選ばれたのは御木本幸吉が常に傍らに置いていたからで、いくつかの試行デザインを経て、今までにない地球儀のかたちが決定した。制作の意図には地球環境を守りたいというメッセージが含まれており、その点から今日もなお使命を帯びている。
ちなみに幸吉翁愛用の地球儀は記念館に展示していたが、劣化が進み、今は収蔵庫に入っている。これは本人の弁に曰く、「鳥羽の私の家には大きな地球儀と、備前焼のホラ貝とが床の間の置物にしてあるが、この地球儀は外遊の帰途イタリーのナポリ港で、飛行船の飛行の経過地を記入するのに使っているのをみて、手に入れようと思ったところが、売物にはしないという。けれども、こんな大きな地球儀をこそわが物にしたいと思って、むりに頼んで即座に買い取って持ち帰ったものである。また備前焼のホラ貝は、これもチョット類の無い大きい代物だが、先年横浜で貿易商をしている友人を訪ねた時見つけたのだが、外国人に売るつもりの物だといっていたのを買ったものだが、この二つを揃えて床の間の置物にしている僕の心はネ、この日本一のホラで全地球上を吹巻くる意気に外ならない」(『伝記御木本幸吉』)というもの。残念ながら相方の備前焼ホラ貝は行方が知れない。
新しい地球儀をデザインしたのは、株式会社ミキモトの商品企画部長で日本画家の染谷聡之さん。創作の経緯を「既成の概念にとらわれない夢と物語性を感じさせるかたちであること、伝統的な宝飾技術が生かせること、相反する命題を満たすデザインを求めて、幾通りものアイディアスケッチが描かれ、ようやく納得のいくかたちに到達した」と述べている。 地球本体の制作は金工家の井尾健二さんに依頼した。銀の平らな板を当金(あてがね)の上に置き、金槌の打ち出しと焼きなましを繰り返す鍛金技法で直径33cmの美しい球体に仕上げたもので、北半球と南半球を別々に作り、赤道で一体化させている。 地球本体を支える支柱と台座は銅合金を素材とした鋳金技法で制作された。支柱の十二星座とシンボルマークはタガネで彫った溝の中に異なる金属を埋め込む象嵌技法が用いられ、長い経験と熟練した技術が必要とされる。また、台座の周囲を飾る十二の季節の花々は染谷さんが描いた下絵を、今は人間国宝となった金工家の桂盛仁さんが薄肉レリーフで立体化した。薄肉レリーフは日本では古墳時代の冠や耳飾りにも見られる技法で、0.6mm銅板の裏面から打ち出しをおこなったあと、表からタガネを入れ、花のかたちをはっきりと力強く表現する。そしてその上に鍍金を施す。純金を水銀で溶かしたアマルガムを銅板に塗り、加熱して水銀を蒸発させ純金のみを表面に焼き付ける技法で、微妙な淡い感じの金色が得られ、今回の花卉文様のような日本的な図柄には特にふさわしい表情を与えてくれる。 本体の海の部分が見せ場で、ここは真珠で埋め尽くすこととした。美しく仕上げるには隙間をできる限り少なくする必要があり、ミキモト装身具のプロジェクトチームはいろいろな手段を検討したが、陸地部分の際まで隙間なく取り付けるには、一個一個芯を立ててゆくのが最良の方法であるという結論に達した。これがもっとも時間のかかる方法であることはいうまでもない。まず、真珠を仮止めして孔明けの位置に印を付け、正確に孔を開ける。球体の裏から芯を通して真珠を固定する。この作業の繰り返しで最終的には12541個の真珠を海の部分に取りつけた。使用した真珠は4.0mmから4.3mmの幅があり、このバランス調整は熟練の技術者にしても当初の予想以上に時間を要したという。さらに北極部分には直径13mmの南洋真珠を中心に花をかたどったプラチナ製のオーナメントが置かれている。これは地球全体に平和の光がそそがれるようにとの願いがこめられたもので「光華」と名付けられた。平和への願いは制作当時よりも一層リアリティを帯びている。
ケース横の解説パネルは要点だけを記しているが、展示室内に工芸品の総合パンフレットが用意されているのでこちらを合わせてご参照頂きたい。昭和末から平成初頭の繁栄を物語る意味からも今後歴史的価値は高くなると思われる。改めてじっくりとご鑑賞下さい。
(2022年8月28日)
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