本ページの121回でジョン・スタインベックの『真珠』を取り上げたが、アメリカの児童文学作家スコット・オデールの本作『黒い真珠』も舞台は同じカリフォルニア湾。1968年に出た翻訳は児童書の扱いなので、広く一般読者に知られることはなかったかも知れない。真珠商が少年時代の出来事を回顧する内容で、真珠採取の様子がリアルに描かれる。
ブラス・サラザールは5隻の真珠船団を持つ、ラパスで知られた真珠採りで真珠商人でも
ある。その息子ラモンは父親の商売を継ぐべく、秤の使い方、かたち、色の見分け方など真珠取引の基本を学ぶ一方で、海に出て自分の手で真珠を採りたいと考える。最初の出漁で同じ船に乗ったガスパール・ルイスという真珠採りの名人から、大きな真珠にまつわる様々な冒険談を聞かされたラモン少年はいつか自分が大きな真珠を手にする様子を夢に描く。その時、船の近くに巨大なエイが出現するのを見た。幼い頃から聞かされていたマンタ・ディアブロと呼ばれる怪物だ。
ラモン少年は家族の留守中にインディアンの真珠採りルソンじいさんと真珠漁場に行く。そこはマンタ・ディアブロのテリトリーで、マンタに挨拶なしに真珠を採ることは許されていないと老人はいう。ラモンはマンタの住まいといわれる洞穴に入り、今まで見たこともない大きな真珠貝を獲る。そして陸に戻って貝を開け、黒く大きな真珠を得た。しかし老人は真珠のあまりの大きさに恐れをなして、マンタが取り戻しにくるから海に返すようにいう。美しく大きな真珠に対する畏怖の念が見られるのはスタインベックの「真珠」と同じ
である。
ラモンが持ち帰ったその真珠には一部に傷があった。父親はナイフで表層を剥いで完璧な状態にし、他の真珠商に転売しようと考える。このように物理的に表面を何層か取り去ってきれいな真珠の面を出すことを「ピーリング(皮剥き)」といい、天然真珠の価値を高めるのに必須の裏技だった。大きさや重さは減少するものの、価格はそれを補って余りあることが期待されるからだ。父親はラパスの真珠商を集めて真珠を披露する。仲買商人は都会へ持って行って、大きな利益を得る腹積もり。うまくゆけば50倍にもなることは、これもスタインベックの『真珠』と同じ。
三人の仲買商が真珠の欠点をあげつらって買い叩こうとする一方で売り手の父親は強気で押し通す。父親の提示額2万ペソに対して買い手の初値は半分の1万ペソ。交渉はもつれる。1万5300ペソまで競りあがったところで、売り手の父親は突然、真珠をラパスの町の教会のマリア様に捧げるといいだし、取引を中断する。希望額の75パーセントまで来てあと一歩だが、金額に対する不満もさることながら、なにか目に見えない力がこの真珠を町に留め置こうとしたようなのだ。父親は真珠を教会に奉納し、サラザール家の発展を祈念しようと考える。
次の出漁はマリア様のご加護のもとで、彼は無事の大漁を期待する。だが、驕慢の罪というのか、自分が教会に大きな功徳を施したという思い込みが真珠漁師としての勘を狂わすことになった。ラパス対岸にある島を経て環礁の真珠漁場に向かったサラザール船団は天候の急変にあって遭難、真珠採り名人のガスパールただ一人が生還する。
父親を失ったラモン少年は「その真珠はマンタのもの」というルソン老人の言葉に従い、教会のマリア像の手から黒い真珠を盗み出して海へ出るが、ガスパールが阻止しようと追いかける。ガスパール自身はマンタ・ディアブロをただの大きなエイと心得ており、黒い真珠を対岸の町に持ち込んで金に換えたい一心だ。やがてあらわれるマンタ・ディアブロ。ふたりは一艘の船に乗ってマンタに追跡され、カリフォルニア湾をさまよう。結局、銛を打ち込まれたマンタは縄を持ったガスパールとともに海底に消え、ラパスに戻ったラモン少年は改めて黒い真珠を教会に奉納した。
『黒い真珠』は自然への畏敬を経験して成長する男の物語、と訳者はあとがきで記す。
インディアンの真珠採取民には資源を浪費しないという暗黙のルールがあり、その枷としてマンタに恐怖の役割を与え、真珠採取を規制してきた。
伝承に見るこうした「畏れるべきもの」の存在は、自分たちが永続的に資源を享受できるように考えられた優れた仕組みのシンボルと見ることができる。同様に大きな真珠の出現も永続的な恵みとは相容れない異常事態であって、畏怖あるいは忌避されるものとして捉えられたことはスタインベックの『真珠』と通底する。
宝石店のケースで大きな黒真珠を見ていると、クロチョウガイの真珠は黒いと思われが
ちだ。しかし、天然のクロチョウガイ真珠は成長するに従って銀色に近づくことが多い。
虹色の干渉色が美しい、大粒の黒真珠は養殖技術の賜物といえるだろう。
松月清郎
2023年5月2日
写真① 真珠博物館2階 「クロチョウガイとマベ」の展示
写真② カリフォルニア湾のクロチョウガイとレインボーマベ
写真③ レインボーマベの真珠
写真④ 様々な色の真珠が美しいネックレス(ヘミング イギリス1900年頃)
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