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「夏休み」館長のブログ167


 東海地方は梅雨が明けて、絶妙のタイミングで学校は夏休みに入った。夏休みは自由研究。自由研究といえば博物館の出番。真珠博物館二階にあるレファレンス・カウンターの賑わう時期が始まる。

レファレンス横でワークショップの受付を

 レファレンスはそもそも図書館で利用者の問合せに対応する窓口のことだが、今ではこの名称を使っている博物館も少なくない。図書コーナーと隣り合っていて、調べものをする来館者にとっては役に立つ場所だろう。展示に関する質問に限らず、館内の誘導、近隣の道案内に迷子、落とし物まで、何でもお応えすることになっている。今は万華鏡作りなどワークショップの受付でもあり、終日人の姿が絶えない。


ロビーに工作体験用のテーブル

 レファレンス前の階段吹き抜けをはさんで海側には見晴らしの良いロビーがある。この時期はワークショップのテーブルが並んでいるが、細かい作業で疲れた目を、遠くの景色を眺めて休めるには最適で、実際、普段はここのソファで時間を過ごす方が多い。展示物を凝視したあとの目に青い空と海の緑が優しい。ロビー右手のドアを出るとベランダで、ここからは窓枠のない、リアルな鳥羽湾の景色が左右に広がる。時は正午。空は晴れて一片の雲もない。「この白昼の静寂のほかに 君に告げたいことはない」と谷川俊太郎がうたった最良の鳥羽を実感できる(「鳥羽1」)。


ベランダからの眺め

 正面が坂手島。左端の白い建物の他、島には人の気配がないみたいだが、集落は右奥にある。港まで鳥羽市市営定期船で約10分。鳥羽の離島で一番小さい。その左側の島が最大の答志島で、坂手島との間を抜け、その先の菅島と神島に続く。

[ドッグ・オブ・ザ・ベイ] LPレコード

 真珠島の右側方向には鳥羽中之郷桟橋があり、ここから発着する船が坂手島との間を行き交う。大きなものは 2,400トンの伊勢湾フェリー、小さい方は釣り船で、その間に市営定期船や観光船、それに資材や物資を運ぶ、あるいは海上警備など様々な役割の船が行き交う。船の出入りを見ているとオーティス・レディングの「ドック・オブ・ザ・ベイ」の歌詞が浮かぶ。船が港に入り、出てゆくのを眺めて座っているだけの一日。夏の午後は、なぜか時間の流れを緩慢に感じることがある。

 本当にここで一日中、海を眺めて、行き交う船の隻数を数え、役割を調べてみる。写真を撮って一枚の台紙に貼れば、面白い自由研究になるかも知れない。イラストで仕上げればもっと楽しい。

『プカプカ』と『谷川俊太郎詩集』 から 「鳥羽」のページ

 海の景色に似つかわしい歌は限りがない。今、ふと浮かんだのは、西岡恭蔵の「町行き村行き」だ。タイトルには海が出てこないが、歌詞は潮の匂いが立ち込めている。西岡恭蔵は志摩の布施田出身で、実家は真珠養殖業だった。私事だが、高校の先輩にあたる。評伝の『プカプカ 西岡恭蔵伝』は読ませる一冊なのに、伊勢市内の本屋では見かけなかったぞ。


海浜学校の記録 先生の訓示か

 ベランダで海を眺めながら取り留めのないことを考えていると、収蔵庫のアルバムに古い写真があったのを思い出した。裏には「鳥羽小学校海ヒン(浜)学校」とあり、別の裏側には岡田写真館のスタンプがある。岡田写真館は御木本幸吉のお気に入りの写真師だった岡田政吉の経営で、鳥羽の優れた風景を数多く記録した。写真は色の黒い児童が部屋の中で座って先生の話を聞く場面と、屋外で折り畳みの椅子に休む様子を捉えた二枚で、場所は現在の珠の宮の前らしく見える。するとその頃、真珠島は小学校の夏の行事に使われていたのか。昼寝する児童たちを見守る、写真後方の帽子の老人は御木本幸吉その人だ。どんなカリキュラムで授業が行われたのか、伝わる記録は当館にはないが、もしかすると小学校には何か残っているかも知れない。それにしても、使っている椅子がなかなか洒落ている。島の備品だったとすれば立派。このセンスは見習いたいところだ。ベランダに置くのにふさわしい。

 夏の午後、子供たちは島の木陰でどんな夢をみたのだろう。

海浜学校 お昼寝タイム

松月清郎

2023年7月25日


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