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「標本瓶」館長のブログ169

 Eテレの遅い時間に博物館のバックヤードを紹介する番組があって、風呂上りに楽しんでいる。取り上げられるのはいずれも著名な館ばかり。設備や什器など真似しようもないから、驚嘆と羨望の眼差しで眺めていることが多い。けれども、実際に仕事をしている学芸員の創意と工夫が垣間見える場面もあって、そういう時は共感で心が和む。資料を整えて何事かを語らせ、次に伝えようとするのがこの仕事の醍醐味で、それは館の専門と規模に関わらず共通している。

 比較にもならないが、当館の収蔵庫の大半を占めるのは貝と真珠の標本である。真珠標本を集める館はないと思うから、大方のお役に立たないのは承知の上、一つの特殊な事例としてご紹介してみよう。

 真珠標本の保存と展示にはスクリュー・キャップの付いたガラス製のバイアル瓶を使っている。小さなものは25×55ミリ、大きい方は40×75ミリの二種類。大きい方の口径は20ミリなので、よほど大きな真珠でもなければほとんど収まってしまう。数量のある標本は瓶を分けて複数にする。基本的に瓶は上下を逆に使い、キャップの直径と同じ大きさの穴を開けた木の板を組み合わせた保存用の棚に落とし込む。整理が容易で、見てもなかなか美しい。大きな真珠はそのまま瓶に入れて、コットンをクッション代りに使えば収まるが、2~ミリの小さな真珠は紛れてしまう恐れがあるので、別の工夫を施す。まず、ポリプロピレンの板を幅10ミリ、長さ60ミリほどにカットし、プレートの中心に切れ込みあるいは小さな穴を開ける。切れ込みと穴の大きさは標本の一部がかかる程度にして、ここにソフト粘着剤(商品名「ひっつき虫」)の小片を置き、その上に真珠を固定する仕掛けを作っておく。そうして標本を貼り付けた上で瓶に入れ、プレートの位置を緩衝材のコットンで決める。これで瓶の口を下にして、棚に落とし込めば出来上りという次第。

 このまま展示する場合は、キャップのサイズと同じ穴を天場に開けたアクリル製の台を用いる。キャップ部分は隠れるので、上からの照明も得られ効果的だ。小粒の真珠で数量があり、瓶のまま展示することがなければ上下は通常の通りにしてストッカーに収めている。

 さらにもっと小さい真珠、というのは1ミリに満たないケシ粒のような真珠で、量も少ない場合にはチャック付きのポリ袋に入れ、それをバイアル瓶に収めておく。そうすることで一定の規格に揃えることができ、紛れてしまう恐れは軽減できる。キャプションはタックシールに必要事項を記して瓶の裏面に貼るが、展示の場合には表に記すこともある。この表記方法の統一が標本の美しさに影響するのは承知の上だが、展示室帰りでそのまま、という場合も多い。

 これらは真珠博物館開館後に集めたものだが、昔から真珠標本はガラス瓶に入れて保管していた。大正12年から御木本真珠養殖場で研究に勤しんだ田中正男が残した標本87点が今に伝わっている。75ミリと90ミリの長さの細いガラス瓶に複数の真珠を入れ、口はコルクでふさいでいる。コルクは痩せて緩んでいるものも多い。真珠研究の過程で得た成果を集めたと思われ、八重山、紀伊田辺など田中が勤務した養殖場の名前が記された紙片が入っているものもある。いうまでもなく標本と文字情報は表裏一体で意味が生じる。田中正男には別に貝のコレクションもあり、真珠博物館以前、島内に一室を設けて展示していた。現在は収蔵庫に保管して再整理を行っているところだ。田中正男は自分の収集品がこういうかたちで伝わる事を想像していただろうか。

 収集する人と整理する人、それを活用して次の世代に伝える人、と資料の取り扱いは多くの役割が交差する。先日まで『らんまん』を見続けてこの事実を再認識し、人々の営為の貴さに深く感銘を受けたことを告白しておく。

今回は始めも終わりもNHK。

松月清郎

2023年10月3日

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