大阪自然史博物館で開催中の「貝に沼る」展を見に行った。「沼る」とはどっぷりはまり込んで抜け出せない状態をいうが、実際に貝の採取中にありそうな場面だ。地下鉄御堂筋線長居駅で下車、まだ蕾の堅い桜の並木沿いに歩くと、開催中の看板が迎えてくれる。
会場は二階。入場券を買って展示室に入り、時計回りに進む。導入部は日本の貝類学の先駆けとして、江戸期の本草学者や好事家による収集品が壁面ケース内に見えてくる。大坂の知の巨人・木村蒹葭堂が貝石標本を作ったことは江戸の博物学を扱った本でお馴染みだが、実物を見るのは初めて。升目を切った箱に整然と並べられた小さな貝の数々に眼を奪われる。その箱自体も漆塗りに貝殻を散らした七段の重箱で、趣味人らしく美しい。また、こうした箱があればこそ、今日まで標本として伝わったともいえる。
標本の散逸を避けるにはまず容器だ。紙の箱では底が抜ける。大正から昭和にかけて御木本真珠の養殖場で勤務した田中正男という人がいた。和歌山県の田辺や沖縄で大玉の産出に尽力した研究者で、貝の収集家でもあった。その収集品が当方に伝わっているが、それこそ大きな貝は紙箱に入ったまま収蔵庫に埋もれている。小さい貝は専用の箪笥に収納していた模様だが、造りに問題があったのか外枠は破損して、今では抽斗のみが骸を晒している状態。収集したご本人には申し訳ないが、頑丈な箱をオーダーして欲しかった。
江戸末期、西洋から貝類学が導入されてから国内での研究が盛んになった。ここで見るべきは当時、手引きとされた西洋書の数々で、これらは大山桂文庫からの出品、とある。大山桂先生は知る人ぞ知る海洋生物学者で、地質調査所退官後、晩年はお隣の鳥羽水族館に貝類の研究者として勤務していた。まだ水族館が今の場所に移転する前のことだ。当時の上司が、通勤途上の大山先生を遠目から、あの人が大山元帥の孫だ、と教えてくれたのを思い出す。『坂の上の雲』の世界か。大山博士の収集した貝類に関する書物は本棚にして総延長270メートルといい(自然史博のブログ)、鳥羽水族館からこちらの館に寄託されている。一度見てみたいものと思っていたが、数冊ながらその片鱗を窺う事ができ、こちらも発見だった。
明治になり、大学で貝類学の研究が始まる。ここでは飯島勲、岩川友太郎といった、真珠関係でも名前の挙がる人々の業績が紹介され、さらに裾野が広がって貝の収集を職業とする人々が現れる。平瀬與一郎、矢倉和三郎はそれぞれ貝類の販売と展示館を運営した先人だが、商売の方はあまり上手くなかったようだ。
コレクションにもいろいろ特色があって、陸生貝、淡水貝など分化して特殊な方向に向かうのはマニアの世界では有りがちなこと。狭くて深い沼といったところか。貝の増殖に関連して、御木本幸吉の養殖真珠に一角が充てられていて、展示品は三崎臨海実験所所蔵の半円真珠。大正14年に寄贈されたものの由だが、貝殻から真珠が外れているので、ちょっと残念な標本だった。そして研究の現場から、最新のゲノム解析による貝の分類提案、これから貝の研究を目指す年少者のための進学ガイド、ワークショップ、読書案内まであり、これで沼にはまらないほうがどうかしているという徹底ぶり。解説書(1000円)もあり、入場料500円は近くなら何度でも足を運びたくなる展覧会だ。
その後は天王寺に出て、新装開店なった大阪市立美術館を見る。京都市美術館のように由緒ある建築に手を入れてモダナイズする手法で蘇り、周囲はずいぶん明るくなった。展示室は4部屋。江戸期の絵画から考古遺物、彫刻に焼物、中国書画などこちらも名品珍品盛沢山の展示内容。入場料は当節諸物価高騰の折からやむを得ないところか、1800円。貝に沼ってきた諸氏がここで注目すべきは展示番号122「蓑亀蒔絵杯」だ。江戸から明治にかけてとされる、蒔絵の施された杯だが、その本体はアワビの貝殻で、虹色の光沢が実に美しい。江戸中期の大坂ではアワビの杯が珍重されていたそうで、どこかのお大尽が愛でていたものか。貝殻と漆は相性が良い。アコヤガイをベースに、豆皿を一揃い作ってもらいたくなった。
松月清郎
2025年3月12日
写真
①長居公園の一角に
②木村蒹葭堂の貝石標本
③養殖真珠の紹介も
④マニアックな淡水二枚貝コレクション
⑤美しくなった大阪市立美術館外観
⑥妖しく輝く「蓑亀蒔絵杯」






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