博物館の一角に小さな図書スペースがある。ずいぶん以前の話、女性スタッフが「ここのことがでています」と、文庫本のページを開いて指し示した。表紙は有栖川有栖『ダリの繭』とある。どれどれと見ると、その第九章「鳥羽にて」に「リファレンスコーナーには真珠に関する文献がコレクションされ書架に並んでいた。『エラリー・クイーンの新冒険』『ポアロの事件簿1』『チャンドラー短編集3』などというミステリも含まれていたが、目次をめくって確かめるまでもなく、それらは皆、真珠がモチーフとなった作品であった。」と紹介されているではないか。推理作家はこの前に立って本棚を眺めていたのだな。彼女はその作家のファンだが、もう読んだからといって寄贈してくれた。そういうわけで有栖川有栖はクリスティやチャンドラーと一緒に博物館の書架に並んでいる。
ミステリ小説で真珠を小道具に用いる場合は盗難か紛失に関わるケースが多いようだ。
たとえば「女王」アガサ・クリスティには「グランド・メトロポリタンの宝石盗難事件」(1924年)、「高価な真珠」(1934年)、そして「桃色真珠盗難の謎」(1929年)がある。長編『ナイルに死す』でも真珠が出てくるが、そちらは殺人が絡む。ここでは「おしどり探偵」トミーとタッペンス・ベレスフォード夫妻の活躍する『二人で探偵を』(創元推理文庫)から「桃色真珠盗難の謎」を読んでみよう。
ふたりの探偵事務所に盗難事件解決の依頼が舞い込んだ。ウィンブルドンにあるブルース大佐夫妻のディナー・パーティで招待客の高価な桃色の真珠が盗難被害にあったという。大佐の屋敷でトミーとタッペンスは聞き込みを開始、探索と推理を続けて犯人を見つけ出す。解決の決め手は先に発表された「グランド・メトロポリタン事件」でポアロがとった方法と同じなのだが、それ以上は封印しておく。この「おしどり探偵」シリーズ自体が過去の名探偵の手法をパロディ化したものという触れ込みで、トミーはオースティン・フリーマンが創造したソーンダイク博士を引き合いに出したり、ポアロを気取って「小さな灰色の脳細胞」といってみたり、ホームズのようにヴァイオリンを鳴らしたりする。その辺が愛読者には魅力かも知れない。
問題の真珠は「ふたつの小さなダイヤモンドの翼になっていて、そこに大きな桃色の真珠が下げてあったのです。ペンダントは(中略)そのまま見つかったんですが、真珠が―しごく高価な真珠ですが―もぎとられていたというわけです」(一ノ瀬直二訳)と説明される。
ダイヤモンドの翼のペンダントというのはどんなものか。これは十九世紀末に流行した「有翼円盤」を思い起こさせる。左右に広げた翼の中心にあたる部分から真珠が下がるかたちを想像してもらえれば良い。翼には小さなダイヤモンドがちりばめてある。古代エジプトに起源を求めることができる、太陽を象徴するデザインだ。
この小説の原題はThe Affair of the Pink Pearlといい、邦題のように桃色真珠では少しニュアンスが異なる。というのもピンクは色の系統別範囲を表して、ほとんど白に近い桜色から、濃厚な薔薇色、さらに朱に近い珊瑚色までをカバーするから。もちろん桃色も含まれるが、それだけではない。ピンクパールは広範囲のピンク系統の真珠を指すことばとして使われていたと考えたほうが良い。
十九世紀の真珠に関する知識ではピンクパールにはふたつあって、ひとつは淡水の二枚貝から採取されるもの、今ひとつは大きな巻貝のストロンバス・ギガスから取れるコンク・パールだった。後者はピンク貝として知られ、フロリダ海峡、西インド諸島、バミューダからカリブ海にかけて生息する。貝肉は食用、内面のピンク色が美しい貝殻はカメオの材料や陶器の原料に利用されていた。その貝肉の中から稀に真珠が発見されることもあって、色は薄い桜色から濃い珊瑚色まで、まさにピンク系のヴァラエティに富んでいた。他の貝の真珠と大きく異なるのは、輝く真珠光沢がない点で、これは結晶構造の違いによる。採取された真珠のほとんどはロンドンに送られたが、一部はアメリカのティファニー宝石店が買い付け、ニューヨークの店で販売されたという。小粒のものはともかく、宝石の要件を満たす大きく美しいコンク・パールを得るのは非常に珍しいことで、漁民にとっては、もし手に入れば一攫千金も夢ではないほどの宝物だったのだ。
一方で淡水二枚貝からも様々な色調の真珠が採取された。こちらはピンク貝の真珠と違って基本的に真珠光沢を持つ。貝の種類は多数あり、色はパープル、ヴァイオレット、グリーンと華やかで、もちろんピンクも美しく輝く。こちらもアメリカの河川で豊富に採取された時期があって、ピンク貝の真珠同様に国内で調達できる素材だから、アメリカのジュエラーにとってはお馴染みの宝石だったといえる。
盗難にあった真珠の所有者はアメリカから訪ねてきたベッツ夫人で、それ相当のお金持ちという設定だ。ピンク貝の真珠か、それとも淡水のピンクパールか。どちらも可能性があるが、「しごく高価」ということから考えると、この場合にはピンク貝のコンク・パールがよりふさわしいのではないか。
二十世紀初頭のアメリカを代表するジュエラーとしてティファニーと人気を二分したマーカス商会のブローチ「野薔薇」はこのピンク貝の真珠をふんだんに用いた名品といって良い。蕾に見立てた大小のコンク・パールと葉に施されたプリカジュール・エナメルの透明な緑色、枝の金色が調和して美しいコントラストを見せてくれる。
2023年2月28日
松月清郎
写真①真珠博物館二階の図書コーナー
写真②『ダリの繭』(角川文庫)は宝石チェーン社長殺人事件
写真③「有翼円盤」のブローチ(上2点)とティアラ(下)Artist’s Jewellery 1989より
写真④ピンク貝 殻高26センチ
写真⑤様々な色のコンク・パール
写真⑥展示室のブローチ「野薔薇」 アメリカ マーカス商会 1900年
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