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鉱山と温泉 館長ブログ136

 南北に長い三重県の、北は桑名市から西は名張市、伊賀市まで博物館協会に加盟する60余りの館はたいてい訪れたつもりだが、南方の尾鷲、熊野方面はあまり足を運んだ経験がない。不図、思い立ち、初冬の一日、車を走らせた。  熊野市街から国道311号線を進む。まわりはミカン畑。整った木々の枝は今が盛りの温州早生がたわわに。かつて難所としてドライバーに敬遠された風伝峠をトンネルで快適に通過。道の両側は山茶花の並木に代わった。

紀和鉱山資料館に展示の229号機

 役場のある板屋に到着。ここで博物館を見学しよう。三重県内の博物館施設中、最南端に位置する熊野市立紀和鉱山資料館。昭和50年代まで現存した紀州鉱山の歴史を留める博物館だ。  この一帯は奈良時代から銅や金、銀の採掘が行われていて、奈良の大仏建立の際にもここから採れた銅が用いられたという。1934(昭和9)年、石原産業が本格的に採掘を開始、板屋が中心となって周辺の鉱脈まで四方八方に軌道が敷設され、多くの作業員が働く一大鉱山として栄えた。戦後も採掘事業は継続されたが、輸入銅に押されて減産が続き、1978(昭和53)年に閉山。その事業と土地の歴史を継承するために1995(平成7)年、資料館が設立され、今日に至っている。  入場料は300円。あいにく小銭の持ち合わせがなく、係の方に迷惑をかけてしまう。旅に出る時は少額紙幣かコイン必携。展示順路に従って中央階段を上がる。館の二階は大庄屋の情景を再現、江戸期のひとびとの暮らしを知ることができる。続く近世鉱山フロアも立体的に構成されたジオラマを用いて、採掘の作業行程が時系列で展示されている。一階が近代鉱山のフロアで、鉱物標本や採掘道具、坑内事務所の再現など迫力に富んだ展示が続くが、中でも圧巻は機関車と鉱石を積んだ貨車の編成だ。鉱山に敷設されたのはレール幅2フィート(609ミリ)の軌道で、作業員は現場まで人車に乗って移動した。牽引したのは電気機関車もしくは蓄電池車で、資料館内に2機、庭に1機が静態保存されている。産業遺産の博物館として三重県でも屈指の施設だ。今まで訪れなかった怠慢が悔やまれる。

湯ノ口温泉。客車の付替作業。

 今夜は資料館近くの温泉。こざっぱりとした宿の二階に設えられた露天の湯船から北山川の夕景を眺めてしばし極楽。廃鉱後のボーリング調査で湧出した熊野の秘湯である。この宿はかつて軌道の分岐点だった小口谷という場所に建てられ、遺構を利用して観光用に整備した「トロッコ電車」の停留所がすぐそばにある。翌朝、一番列車で湯ノ口温泉まで。先頭の蓄電池車に牽引された客車は小さな木製の箱といえば良いか。頭を低くして乗車すると出発進行。車内には一応座席があり、ガラス窓も嵌ってはいるが、軌道のほとんどはトンネルなので景色を期待すると裏切られる。客車の軸受けは直付けで緩衝装置はなく、車輪の径が小さいために、その揺れと騒音は相当なもの。これは鉱山のリアルを体験できる、またとない機会だ。10分で終着の湯ノ口温泉。折返し時間まで30分あるので、ひと風呂頂こう。昨夜の宿は引き湯だったが、ここは源泉かけ流し。とろみのあるお湯で20分ほど温まる。窓の外の木々は散り果てて、すでに冬の色。


『紀州鉱山専用軌道』

 さて、この旅に最良のガイドブックをご紹介。まず、名取紀之著『紀州鉱山専用軌道』(ネコ・パブリッシング 2017年)。著者が廃鉱直前に訪れて撮影した貴重な写真が満載、詳細な解説に興味深い地図と図面はかつての紀州鉱山の姿を彷彿とさせる。






『戦争捕虜291号の回想』

 今一冊はジミー・ウォーカー著、松岡典子訳『戦争捕虜291号の回想』(三重大学出版会 2000年)。戦争捕虜となってこの鉱山に送られた英国兵士のひとりが帰国後に著した記録で、ユーモアを交えた筆致のうちに過去の記憶を留める、重く貴い証言だ。彼らは鉱山のあった町の旧地名「入鹿」に因んで「イルカ・ボーイズ」と呼ばれ、1992年に再訪した(移動の途中で鳥羽に宿泊、ミキモト真珠島にも立ち寄っている)。捕虜として鉱山での労働に当たった日々を「忘れることは出来ないが、許すことはできる」と総括しているのが印象深い。「イルカ・ボーイズ」に関する展示も鉱山資料館で見ることができる。


(2020年12月27日)

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