
前回、東洋水産が製造した缶詰ラベルの話を書く必要から、『缶詰ラベルコレクション』という本を手に入れた。オールカラーで350ページの文庫本サイズ。写真でご覧の通り、派手なピンクのジャケットに包まれている。公益社団法人日本缶詰協会が編集しており、巻末リストにある549点のうち、2点を除くすべてが同協会の所蔵するラベルという。この文庫は先行する『缶詰ラベル博物館』(2002年)からの抜粋なので、協会の収集品はこれを上回るボリュームか。凄いコレクションがあるものだ。
年代的には1877(明治10)年から昭和期まで。紙に印刷されたラベルで、フルーツ、野菜、貝、水産物、お肉、おかず、おやつの各ジャンル別に配列されている。これらは現在でも可能な区分だが、独活(うど)、慈姑(くわい)、茗荷(みょうが)の缶詰なんて今でもあるのか知らん。 東洋水産に限らず、明治期の輸出缶詰が失敗したのはラベルデザインによるところが大きかった。日露戦争の勝利を謳うようなトーゴー、ノギ、ミカサなどのブランドとその図案が市場に理解されなかったからと、高﨑達之助は指摘していたが、では実際にどんなデザインだったのだろう。そういう関心でこの本を参照してみると、意外にも軍艦を使ったラベルは二件しか掲載されていない。それは大阪の松下商店が製造したサザエの缶詰と赤貝の缶詰で、万国旗の縁取りの中に軍艦が描かれている。甲板の三本煙突は八雲か出雲か、日露戦争で活躍した装甲巡洋艦らしく思われる。中身のサザエのリアルなイラストと表裏一体で奇妙なコントラストだ。 他にはどんな貝があるだろうか。順番に挙げると、小貝、ホッキ貝、絹貝、マテ貝、アサリ貝、赤貝、青柳、揚巻、アワビ、牡蠣、タイラギ、帆立貝、ハマグリといったところ。この内、最初の小貝はイラストで見るとアサリのようだが、そちらは別にある。絹貝はバカガイらしいが、アオヤギもその別名だ。当時、普通に漁獲されていたアゲマキは今では絶滅が危惧されている。 この中にアコヤガイはなかったが、以前このページで御木本真珠養殖場謹製の貝柱佃煮「玉しぐれ」をご紹介したことがあった(№98「貝柱」)。大正から昭和初期まで御木本の中核基地として事業を展開していた五ヶ所(現南伊勢町)養殖場の副産物で、アコヤガイの年間施術量1000万貝規模だったというから貝柱の量も半端ではない。ラベルはデザインも色も控えめで、店頭で派手に自己主張する風ではないから、やはり特定顧客への贈答用だったのだろう。この貝柱の時雨煮は御木本幸吉の盟友・行方庄助の製造による。桑名で時雨蛤の改良に取り組んだ人物で、幸吉が真珠一筋と決める以前、水産加工品の開発に助言を得ていた記録がある。
昭和の土産物で真珠の缶詰があったことをご記憶だろうか。缶詰とはいいながら側面は素通しのプラスチック製で、中に殻のままのアコヤガイが一個横たわっている。缶切りでコキコキと開けて貝の身のなかに入っている真珠を取り出す、ということなのか。貝の身はアルコールの液浸標本で食べることはできないから、このまま飾っておくものなのか。久しい以前に廃番となっていたが、その後はアコヤガイの代わりにヒレイケチョウガイを使った缶詰が登場した。こちらは中国の池で養殖されている貝の、途上で間引きした小さな個体に無理やり真珠を押し込んだもののようで、やはり液浸標本だから食べられない。現地養殖場の様子を知れば、生でも遠慮したいところ。
近頃は缶詰のラベルも多様化していて、あえてイラストを採用せず、迫力のある漢字で中身を表わしたデザインが目を引く。過日、スーパーの棚に「穴子」と書かれた缶詰を発見して即購入。ちょっと小ぶりの、断面が3の形をした煮穴子が丸缶の高さに詰まっているかと想像して、プルトップを引き上げる。と、サンマと見まがうほど幅のある黒い切り身がゼラチンをまとって積層していた。改めてラベルを確認するとアナゴはアナゴでも深海で捕獲されるイラコアナゴなる種類で、製造所のある三陸方面では普通に食べられているらしい。熱い飯の上で溶けてゆくようなキメの細かい食感は悪いものではなかったが、オモッテタントチガウ。
(2021年9月7日)
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