白浜といえば温泉。そして博物館業界では南方熊楠記念館と京都大学水族館の所在地として隠れもない。昨年末の連休を利用して訪問した。
冬晴れの朝、多気からJR東海の特急「南紀1号」に乗車。乗り継ぎの紀伊勝浦到着がちょうど昼時で、これは途中下車してマグロを食べろということか。鄙びた町内で2時間を費やし、JR西日本の特急「くろしお26号」で午後の遅い時間に白浜到着。パンダが迎える駅からバスで20分程、白良浜を眼下に収めるホテルに旅装を解く。白い砂が目に眩しい。まるでビッグボスの歯のようだ。浜に降りてひと時、海に入る夕日を眺める。波打ち際に人々のシルエット。海に入ってはしゃぐ若者も。
鳥羽シーサイドホテルの支配人だった方が「宿は入日を望める場所が好ましい。空を染める夕焼けは心躍る夜の開幕を告げる」といったことを思い出す。既に故人となってしまわれたが、こんな一言が印象深く残っている。 暮れなずむ湾の向こうに町の灯りと季節の青いイルミネーションを眺め、広い露天風呂を独り占め。手足を伸ばして極楽、極楽。夕餉に出たクエは「フグのようでフグでない、タイのようでタイでない(べんべん)」といった食感と味わい。造り、鍋、揚げ物といろんな調理法で供されたが、すべて退治する。
翌朝、開館時間を待ち、南方熊楠記念館を目指して白浜町の北西に位置する番所山公園に向かう。この記念館の創設は1965年。2017年に完成した新館入口から2階に上がり、渡り廊下で本館に。廊下壁面には熊楠の履歴書が展示されていて、その長さは8メートル。世界一長い履歴書という。本館2階のオリエンテーション映像で熊楠74年の生涯を頭に入れる。冒頭の挨拶は名誉館長の荒俣宏さん。この方以上に相応しい人選もない。展示の前のガイド映像はやはり有効で、当方の幸吉記念館でも導入を検討しないと。 博物学の巨人として知られる南方熊楠だが、Natural History(自然史)だけでなく、民俗学など人文科学をも包括する、非常に広範な知的領域に関心を巡らせていた。その基礎となる知識の蓄積に必須の要件は記憶力で、この記念館では熊楠の並外れた能力を実感できる様々な資料が展示されている。『和漢三才図会』の筆写本の精密さだけでも一驚ものだが、その量が圧倒する。手本を見ながら書き取る、いわゆる臨書ならまだしも、読んだものを後から再現して書き留めるなど、とうてい不可能に思える。古来、口承で伝えられた文芸は数あり、記憶は訓練次第で高められる能力だとしても、これは群を抜いている。 幼少期の写本類、アメリカ、イギリスでの武勇伝、生物学者としての収集標本、民俗学の成果と交流を物語る文献類など、常設展示はコンパクトにまとめられており、南方熊楠を学ぶにはまずここから。新館屋上には展望デッキがあり、最高地点から360度の眺望が楽しめる。
番所山一帯はフィールドミュージアムとして整備されていて、磯や森の生き物に親しむことができるが、水の冷たいこの時期は隣接する白浜水族館で海の生物観察を楽しもう。京都大学臨海実験所の付属施設として公開され、水族館マニアの間で人気が高い。飼育生物は600種を超え、なかでも無脊椎動物が魚類を圧倒する。小さな水槽のそれぞれは分類群ごとに区分され、生きた図鑑のようなスタイルとなっている。タコ、エビ、カニなどからサンゴ、ウニ、ナマコなど動きの少ない面々まで、図鑑のページをめくるように水槽を見つめる。貝類も多数飼育され、なかでもリンボウガイとホネガイの動く様子は初めて見た。魚類の水槽はさすがに大きく、なぜかみんな悠然と泳いでいる。昨夜やっつけたクエと目が合う。
近くには名所として知られる円月島。グラスボートで海中を眺めるアトラクションも用意されている。アドベンチャーワールドができる以前の白浜観光といえば、この地域が一番だったのだろう。そう思えば多少の寂しさが漂っているかも知れないが、半日は優に過ごせる、気持ちの良い地域だ。 左側に海を眺め、バスで駅に向かう。一帯の田辺湾はかつて御木本の堅田真珠養殖場があったところで、大正10年から昭和14年まで桑原乙吉、田中正男の指導の下に養殖がおこなわれていた。記録では33万坪以上の海域で、これは海外を別にすれば五ヶ所、英虞湾に次ぐ広さだった。先ほどの水族館にアコヤガイが飼育されていたから、今でもこの海域には貝が健全に生息しているのだろうな。天然真珠を宿しているかも知れない。
(2022年1月23日)
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